SAILOR2019-2020
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26蒔絵京都江戸加賀(金沢)70加賀蒔絵の歴史蒔絵の技法蒔絵に併用される加飾法日本独自の漆技法である蒔絵は、奈良~平安時代に公家の身の回りの品々に飾りをつけるための技法として使われていた。加賀蒔絵は、寛永時代(1620年代~)の加賀藩三代藩主・前田利常の美術工芸振興策をきっかけに京都の名工・五十嵐道甫と江戸の清水九兵衛を指導者として招いたのが始まりである。日本の漆芸を代表する指導者の下、京都の公家らしい雅やかな気品と、江戸の武家らしい華麗な豪華さが見事に融合した美しく清楚な加賀蒔絵は、日本を代表する伝統文化としての形成をみることができ、高度な技術を習得した漆芸家によって今もなお受け継がれている。漆や漆に炭粉、錫粉を重ねて文様や絵柄を盛り上げる、地盛り作業で立体的に見せる技法。地盛り作業の上に平蒔絵を重ねた状態を高蒔絵という。鎌倉時代に発達した技法で、重厚感溢れることが特徴。高蒔絵たかまきえ漆で描いた文様や絵柄が乾かないうちに、金粉、銀粉、錫粉などを上に蒔いて乾かす(蒔放し)。奈良時代にはこの状態では光沢がなく丈夫でないと考えられた。この欠点を補うため、蒔放しの上にもう一度漆で薄く塗り乾かし、その上を木炭で文様や絵柄を研ぎ出す技法が生まれた。肉合蒔絵は、菱合(ひしあい)蒔絵とも呼ばれ、研出蒔絵と高蒔絵が併用されたものをいい、肉厚で立体感があるところが特徴で、山水図などに多く用いられ、江戸時代に盛えた技法。研出蒔絵とぎだしまきえ肉合蒔絵ししあいまきえ漆で描いた文様や絵柄の上に細かい金属粉を蒔き、漆で塗り固めた後に磨き上げる技法。研出蒔絵に比べ簡単な作業の平蒔絵が生まれたのは平安時代で、鎌倉、室町時代へと発達した。平蒔絵ひらまきえ粉溜・溜塗りふんだめ・ためぬり平目地ひらめじ梨 地なしじ蒟 醤きんま沈 金ちんきん象 嵌ぞうがん金粉、銀粉をびっしりと地蒔きする技法。金粉、銀粉をまばらに地蒔きして研ぎ出す技法。薄く梨地粉を蒔きつめて漆を重ね塗りし、表面を研いで梨肌のような仕上がりとなる技法。漆を何層にも厚めに塗り、塗面に線彫りした文様に色漆を塗り込み、乾かして磨き上げる技法。螺 鈿らでん鮑貝、夜行貝、蝶貝などの貝殻の内側を薄く剥ぎ、文様や絵柄に合わせて張り、漆で塗り固めて研ぎ出す技法。塗面に刀で線彫りした文様に金粉や金箔を押し込み、地についた余分なものはぬぐいさって線刻の凹みにだけ金を残した技法。金属などに文様を刻み、金銀などの異種の金属をはめ込んで装飾を施す技法。蒔絵の四つの技法は、文様や絵柄を表現するために用いられるが、その文様や絵柄の空間には金属粉を蒔く地蒔きなどの様々な加飾法が併用される。蒔絵シリーズ/蒔絵 _その世界蒔絵シリーズ

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